2〕コロナ時代の付き合い方
今外食は、コロナという災厄によって、未曾有の危機にさらされています。スイートポーズ、中野ブリック、クレッセント、センソ、レバンテ.アジルなど、私が長年好きだった店も、閉店に追いやられました。
しかもどの店とも、別れを告げられないまま、もう二度と会うことができなかったのです。長い間様々な店と付き合ってきましたが、こんなことは初めてです。


しかし文明社会においては、どんな時代にあってもレストランはなくなることはなかった。常に我々の心に必要なものとして、居続けてきたのです。

僕は思います。

料理人たちが、常に創造しようとする勇気は、今の危機を克服するのに役立つ。

私たちはそれに触れて力づけられる。未来のために、良いものを創造するあらゆる機会をつかんで行かなくてはいけません。そのためにレストランは必要不可欠であるだけでなく、生命維持のために必要なのです。


今後もレストランは危機にさらされるでしょう。昨日までの正解が今日の不正解となることもあるでしょう。
だがレストランは、客と一体なのです。このことを客側である我々は、忘れてはいけません。


私たちがうわべだけでない、真贋を確かめる経験と知識を持っていなければ、いいレストランは残らないでしょう。

今日本のレストランは、ある意味バブルです。飲んで食べて五万円もする高価な店が、いやそんな店だけが、三年先まで予約が取れない状況になっています。中には素晴らしい店もありますが、明らかにおかしい状況ではないでしょうか?


京都の有名割烹のご主人が言っていました。

「我々がどんな食材を使っても料理だけでいただけるお金は二万二千円が精一杯です。それ以上のお金をいただこうと高級食材につぎ込むと料理に無理が出る」


亡くなられた「京味」の西さんは言われていました。

手をかけずとも上手くなる。一番難しいんは、野菜料理や」


でも今は、高騰化の折から高級食材のオンパレードの傾向にあり、それらを喜ぶ人たちで溢れています。


先日辻調理師学校のOBである老先生が言われていました。
「秋はどこにいっても松茸の焼いたのが出る。しかし今の料理人たちは、毎日割烹に行っていて松茸はもう勘弁となっている客に対処できるのか? もう松茸ではお疲れでしょうからと言って、別の優れた料理をすっと出すことが出来るのか? それで客を満足させ、松茸と同じ値段をいただくことができるのか? それこそが腕であり、見識であり、店というものだ」。


コロナ後は、みんなが本質とは何かを考えるようになるので、5万以上で予約困難な店は、失速するのではないか。以前僕は、そんな予測を立てました。


だがちっともそうならないどころか、前より加速しています。


その反面で、誠実で真っ当な料理を出している店は、コロナの影響を受けているのです。



これは我々客の責任でもあります。

さらに本質を見極める心眼を育てなくてはいけないと思うのです。


見巧者という言葉があります。

これは演劇や芝居などを見慣れていて、役者の素晴らしさや構成の斬新さなどを見抜き、評価することです。役者や演出家がここを褒めてもらいたいという点を感じ取り、評価するのです。


この見巧者という言葉にならって、「味巧者」という言葉を考えました。

何軒も店に行って、その味の奥にある狙いを読み取り評価する人です。


僕は店に行ってコースを食べ終えた後に、「いかがでしたか?」と聞かれる立場にあります。


そのため食べている間中、シェフの真意はどこにあるのかを探っています。

そして「いかがですか?」と聞かれた時、おそらく一番褒めてもらいたい料理と、その良さを語ります。その瞬間読みが当たったか外れたかわかるのです(いまでも時々外れます)。


そうして自分を追い詰め、磨き、立派な味巧者になりたい。


みなさんと一緒に成長したい。

アフターコロナ、ウィズコロナの時代は、そうした真贋力、洞察力こそ、みんなの生きる力になっていく。

そう信じています。